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源内さんの恩人「渡辺桃源」屋敷跡(地図番号13)

源内さんを陰になり日向になり支えた渡辺桃源(わたなべとうげん)の屋敷が、ここにありました。
敷地はこのあたり一角を占め、北面には海を見渡す臨江邸(りんこうてい)(3階建て)があったと伝えられています。


渡辺家は京都の出身なので、屋号(やごう)を「宇治屋(うじや)」と言い、屋敷には京都から運んできたという立派な蘇鉄(そてつ)がありました。 霊芝寺(れいしじ)へ墓参りに来られる5代藩主「頼恭(よ りたか)」公の休憩所でもあった屋敷には、藩主のための御成門(おなりもん)もありました。

桃源の俳号(はいごう)は、三千舎(みちのや)。志度俳壇(しどはいだん)の宗匠格(そうしょうかく)として名を成し、源内の才能を愛(め)でていたので「頼恭(よりたか)」公に休憩の折、源内の話を聞かせたかもしれません。 江戸へ旅立つ源内を思い送別会を開催、その後有馬まで同行、没後には、故郷で告別式を挙げるために力を尽くすなど、生涯を通して源内を支えました。

渡辺桃源は1794年、79歳で死去。  辞世の句「露(つゆ)とちる この身は草に 置かねども」が刻まれた露塚(つゆづか)が、菩提寺(ぼだいじ)「東林寺(とうりんじ)」の門前に建てられています。 

 

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