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源内さんと俳諧(地図番号8)

17歳の頃(1745年)から、俳号を「李山(りざん)」と号し数々の句を残しています。
21歳になると、志度俳壇(はいだん)の宗匠格(そうしょうかく)である「渡辺桃源(わたなべとうげん)」とともにリーダー格として活躍しました。


江戸に出るまでの源内は、故郷をうたったたくさんの句を残しています。19才の時にうたった句の中に、「黄昏(たそがれ)を遥(はる)かに船の島かくれ」という句があります。あたり一面が、夕焼けに包まれた瀬戸の海に行きかう舟と島々の風景を源内は愛し、おそらく江戸に出た後も心の支えになったことでしょう。

源内の俳諧(はいかい)の才能は、後年(こうねん)江戸で作家として身を立てることに役立ちます。1763年、滑稽(こっけい)小説『風流志道軒伝(ふうりゅうしどうけんでん)』5巻と『根南志具佐(ねなしぐさ)』5巻を刊行し、『根無草後編』『放屁(ほうひ)論』等次々と世に出していきます。「風来山人(ふうらいさんじん)」、「天竺浪人(てんじくろうにん)」などの名を使い、社会の世相(せそう)を風刺(ふうし)した作品を出しました。

この他、「福内鬼外(ふくうちきがい)」と号して、浄瑠璃(じょうるり)の脚本(きゃくほん)も手掛け『神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)』は、今も国立劇場をはじめ各地で毎年のように上演されています。 

 

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