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源内さんと薬草園(地図番号3)

1748年から約100年間、栗林公園には薬園があり、朝鮮人参(ちょうせんにんじん)などの栽培も試(こころ)みられたようです。源内さんはこの薬園で1759年から2年間、薬草を栽培管理(さいばいかんり)する初代「薬園頭(やくえんかしら)」として腕を振るっていました。

旧邸内の薬草園は、昭和54年(1979年)、源内没後(ぼつご)200年を記念して、本草学(ほんぞうがく)(薬学(やくがく)・博物学(はくぶつがく)・医学(いがく)の勉強をした源内に因(ちな)んで作られたものです。 源内は、病気で困っている人たちの力になるため、隣村の医者「久保桑閑(くぼそうかん)」のもとで学んだり、陶(すえ)村の本草学者「三好喜右衛門(みよしきえもん)」について教えを受けました。

その後、「池田玄丈(いけだげんじょう)」と共に栗林公園薬園の薬草を管理し、初代「薬園頭(やくえんかしら)」も務めています。
当時の藩主「松平頼恭(まつだいらよりたか)」公の命で甘蔗(かんしょ)【さとうきび】の栽培も手掛け、後に白砂糖は藩の財政(ざいせい)を潤(うるお)す産業に発展しました。

旧邸内では、牛が回ってサトウキビから砂糖を絞(しぼ)り出す様子を模型でご覧いただけます。 

 

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